南江口 2018.06.14 UpDate

THURSDAY JUNE 2018

【寂光寺:江口の君堂】遊女妙の平安時代のお話

南江口にある寂光寺(江口の君堂)

江口の君堂

寂光寺(江口の君堂)は南江口3丁目にある歴史あるお寺です。

寂光寺には江口の君堂と呼ばれる由緒があります

江口の君堂

平安時代、今の東淀川区江口エリアは「摂津国の江口の里」と呼ばれてました。

淀川河川敷

当時の淀川は京都と西国を結ぶ賑わいがある港町でこのあたりには多くの遊女がいたようです。

江口の君堂の由来の「江口の君」とは

江口の君堂

江口の君とは平資盛(たいらのすけもり)の娘で名前は「妙」といい、平家没落の後に乳母の郷里であった江口の里に身を寄せ遊女となったお人です。
※イラストはイメージです

ある日、旅をしている西行法師が江口の里に訪れました

お坊さん

仁安2年(1167年)西行法師が天王寺の参詣へ向かう途中、江口の里で通り雨に遭い、ある家で雨宿りをさせてもらいたいと申し入れました。
※イラストはイメージです

泊めて下さい

お坊さん

ダメです

江口の君堂

家主の遊女の妙は断りました。

歌を詠む西行法師

お坊さん

そこで西行法師が「世の中をいとふまでこそかたからめかりの宿りを惜しむきみかな」と歌を詠みました。

いい返しね

江口の君堂

すると妙は「世をいとふ人としきけば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ」と即興で歌を詠み返しました。
そして2人は一晩、歌を詠み合って過ごしたという逸話が残されています。

尼になります・・・!

江口の君堂

これが縁となり妙は尼となって光相比丘尼(こうそうびくに)と名乗り、悩める人々の相談役となったと言われています。

妙が亡くなった後に、供養のため建てられたのがこの寂光寺と伝えられています。

江口の君堂

歴史的な寂光寺に訪れてみて下さい!

江口の君堂
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